ラフ旅36日目@大分の別府へ!!
ラフ旅36日目、始まります!!
昨晩はとても楽しい夜でしたが僕らは車中泊でした。
2日連続の車中泊で体はギチギチ。
そして、NO風呂のダブルパンチです!!
そして、今日から大分→宮崎へと進んで行きます。
まずは大分を目指して大移動します。
移動の前にまずは腹ごしらえ。
福岡ではラーメンばっかりだったので、今日はうどんにします。
福岡がうどんで有名って初めて知りました。
【牧のうどん】を食べてみます。
チェーン店で福岡だと店舗が結構あるみたいです!!
「肉うどん」に「ごぼ天」をトッピング。
合わせて、「かしわ」も注文しました。
「牧のうどん」美味かったですね〜!!
安定の味とはこのことですね。
福岡に行った際は食べてみては〜。
お腹を満たした後はまたまた移動。
しばらくドライブーン。
2〜3時間、移動して大分に入りました。
大分に入るとこんな光景が、、、
綺麗な高原を超えると大分は別府に到着しました!!
温泉の町、別府!!
ゲストハウスに荷物置いたら温泉行くぞ〜!!
まずは本日宿泊するゲストハウスに到着!!
【カームハウス別府北浜】に宿泊します!!
中に入ってみるとクソほど綺麗でした!!
これで4人で1万円なら安くね。。。
ゲストハウスの綺麗さにひとしきり感動したところで温泉に行きます。
近くにある【海門寺温泉】に行きます。
浴場はこんな感じです。
あつ湯めちゃくちゃ熱かったです。
1分も浸かれずにすぐにぬる湯に行きました。
ぬる湯がちょうどえぇ!!
お風呂の後は、別府の商店街を散策します♪
商店街とっても良い感じでした!!
レトロな雰囲気を大事にしている商店街でした。
そんな雰囲気の中で1枚パシャり。
レトロな別府の商店街を堪能した後は、
ゲストハウスの1階にある【居酒屋 生一本】へ!!
(ドリンク無料券をもらったんですよ)
料理もまた美味いんだコレが!!
酒の肴には話が一番。
コウスケともたくさん話しました。
「将来はどんな大人でいたいのか」「日本一周のゴールは」「日本一周後にはどうしたいのか」
僕らも含めて、
まだ見えていない部分はたくさんあるけど
旅を通して1つずつ明確に鮮明にしていきます。
その後は、ゲストハウスに戻って就寝。
明日はサーファー2人には念願の「宮崎」に向かいます。
今日はこれまで、ばいちゃ。
〜ちょこっとつぶやき〜
「Mr.有言実行・中高年の星、その名も伊能忠敬」
おいっす〜、旅に小慣れてきたマコジですよ。
今日は旅の先輩というか、旅が始まって気になる人物を少しだけ掘り下げてみたんですよ。
彼の名は「伊能忠敬」
恐らく、皆さんもご存知ですよね。日本地図を作った人ですよ。
日本一周してる身としては、
かの偉人の経緯とかどうやって地図を作ったのかとか知りたくなるわけですよ。
・簡単な経歴から
1745年、上総国山辺郡小関村の名主「小関五郎左衛門家」に生まれる。母親が6歳の時に亡くなり、婿養子だった父親は忠敬の兄・姉を連れて実家に戻る中、忠敬はそのまま祖父母の家に残る。その後、1762年に下総国香取郡佐原村の酒造家・伊能三郎右衛門家の婿養子となる。
伊能家は酒造り、米、薪、燃料等を取引しており、あまり上手くいってなかったが忠敬の才覚で盛り返した言われている。
伊能忠敬、商売の才能も持ち合わせていたんですね。
すごい人だ。
・日本地図の測量に至るまで
忠敬は49歳の時に仕事を長男に譲り、江戸へ出て天文・暦学の勉学を始める。当時、19歳年下の師匠に弟子入りし、様々な知識を学んで行く。その後、「地球の大きさを知りたい」と考えた忠敬は、その課程の中に正確な日本地図が必要という結論に至った。
49歳から19歳年下に弟子入りするほどの勉強家。
頭が上がらんっす。
・測量開始から日本地図完成まで
伊能忠敬が測量を開始した年齢は55歳。そこから17年の歳月をかけて、忠敬が72歳の時に日本地図を完成させました。
いや、55歳から測量開始はタフすぎる!!
さらに、そこから17年!!
・測量方法は?
忠敬は55歳(1800年)の時に第一次測量のため、蝦夷地へ向かいました。この時の測量は一定の歩幅(70cm)になるような歩き方を訓練し、複数の人間が同じ場所を歩いた歩数の平均値から距離を計算していくという方法でした。毎日40kmは歩いていたとか。蝦夷地滞在は117日間にも及び、帰宅後は測量データをもとに3週間かけて地図を完成させたと言われています。
翌年1801年には第二次測量を開始。
伊豆から太平洋側北端にある尻屋崎までの東日本太平洋側の測量で、今回は蝦夷地で用いた「歩測」による測量ではなく、一間(約180cm)ごとに印を付けた縄(間縄=けんなわ)を使う方法に変更するも、海岸線は複雑に入り組んだ地形が多かったり、時には断崖絶壁に縄を張っていく測量になったりと苦労は尽きなかった。
もはや可愛さすら感じます。
ただ、それでもやり遂げようとする根気強さはえげつない。
・日本地図の完成と歩いた距離
忠敬は最終的に第十次測量までを成し遂げ、日本地図が完成。
東日本の海岸線測量が完結した第四次測量の後、忠敬は当初の目的であった地球の大きさを求める計算を始め、その結果約4万キロという数値に辿り着きました。
オランダの天文学書の数値と照らし合わせ、両方が一致することを確認し大喜びした。第十次測量が終了するまでの忠敬が歩いた距離は4万キロとされ、それこそ地球一周分を歩いたことになります。
自分の目的達成の副産物があの日本地図だったのか。
いや、すごいな!!すごすぎるな、伊能忠敬!!
歴史好きからは「Mr.有言実行」とか「中高年の星」って言われてるらしいです。
「願望を一時も忘れずに心がけていれば、必ず成し遂げられる」
こちら、伊能忠敬先生のお言葉でございます。
55歳から日本の測量を始めるというイカれた精神を持つタフガイのお言葉です。
勇気をもらえますよね。
「何かを始めるのに年齢とか関係ないよ」を生き方で体現した人なんだなと尊敬。
ちなみにラフクルーの日本一周のルートがこちら。
神奈川→山梨→千葉→茨城→埼玉→長野→新潟→富山→石川→富山→福井(車中泊のみ)→兵庫→島根→山口→福岡→佐賀→長崎→鹿児島→福岡→大分→宮崎
呆れるほどぐにゃぐにゃ。
忠敬がこれ見たら、ありえなさすぎてゲロ吐くだろうな。
でも、楽しければ良いんでね笑
このぐにゃぐにゃ感は今後も続くでしょう。
ではでは〜。
参考記事