roughcrewの旅日記

宮古島にゲストハウスを作るために、男4人で全国のゲストハウスを巡ってます!

ドラマかアニメでしか見たことない風呂掃除@住み込み2日目

 

住み込み2日目です。

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朝は5時30分に起床!!

昨日は黒湯温泉大親分たちと飲んでましたで、朝が鬼キツイ。

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(親分たちは大酒飲みでした)

 

今日は朝から夜までフルで働きます!!

朝はまず朝食の準備。

テーブル拭いたり、料理を準備したりって感じですね!

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(ケイタ頑張ってます)

 

朝食の準備が終わったら、僕とケイタは風呂の掃除です。

ケイタが男女別の露天風呂、僕は混浴を掃除します。

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(風呂掃除のイメージはこんな感じ)

※露天風呂は動画とか写真は基本ダメらしいです。

 

この風呂掃除の後は朝飯。

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(朝食じゃないすけど毎回こんな量)

 

量と品数がハンパないんすよ!

しかも、味も美味しいから箸が進む進む。

 

このままだとブクブク太っちまうな。

一生懸命働いてたくさん汗をかこう!!

 

 

朝飯後は部屋の清掃&セッティング!!

コレがなかなか大変でした。

 

ビシッとシーツを張ったり、部屋に常備してる品を揃えたり、掃除機かけたり、コロコロかけたりと1番仕事をしてる時間でしたね。

 

部屋のセッティングが終わったら昼飯。

不味いわけがないのでお腹いっぱい食べました。

 

12時〜15時までは昼休憩。

昨日、飲んだので3人とも寝てました。

 

15時からはおやつを食べます。

その後は賄いの準備、夕食の準備・配膳・接客。

今日の接客もワタルは軽やかにこなしてました。

 

20:00頃には、概ねの仕事は終わってました。

いやー、お疲れ様です。

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今日の感じが1日の流れらしいです。

慣れたら何とかなりそうだね!!

 

仕事が終わった後は、風呂に入って、ゆったりして就寝。

 

明日も仕事がんばろー!!ばいちゃ。

 

 

 

〜ちょこっとつぶやき〜

「死ぬ間際のことについて」

 

植本一子、幡野広志、igoku編集長が死を綴る 人生は誰のもの? - コラム : 北欧カルチャーマガジン Fika(フィーカ)

 

余命宣告された写真家の幡野広志さんが命について語っているので気になって読んでみました。

自身が末期ガンで余命宣告されている幡野さんだから感じるものや見える部分があるのではないかと思います。

 

 

1.あなたの命は家族のものだ

これは医療業界の常識なんだそう。常識という言い方は歪んで伝わりそうだが、暗にそういう形になっている。

 

どういう事かと言えば、延命治療の決定権を家族が握っているということ。

 

つまり、植物状態で苦しい思いをして生きたくない方や認知症で家族に迷惑をかけるのが辛い方が本当に延命治療をしたいのかという事だ。

 

難病で死が近づいてくる患者さんの中には死を選ぶ人や治療よりも残りの人生を自分の好きな事に使いたいと考える人もいるのではないか。

 

だが難病や植物状態の患者さんにおいては、本人の希望よりも家族の意思が尊重されてしまう事が多い。

 

 

2.生きる事と生かされてる事

幡野さんは医療業界の常識を語った上で、「生きる事」と「生かされてる事」は違うと語る。

 

恐らく幡野さんは、残りの時間を自分の好きな事に使う「生きる事」を選択したのだろう。

 

幡野さんは沢山いる「生かされてる」患者さんを見て、もっと患者の意思を尊重する医療現場になってほしいと思っているそう。

 

どんなに患者さんが、意思を示しても(書き残したり)、家族がNOと言ってしまえば、家族の意見が通ってしまう。

 

医師は家族とのトラブルを避けたい、家族は自分の悲しさから逃れたいために、延命治療をしているのだと幡野さんは語っていた。

 

医学的に心臓が動いている状態が「生きる事」ではないのだ。

 

3.自由を奪われる苦しさ

幡野さんは病気になり気づいた事は「自由を奪われる苦しさ」だという。

 

選択肢がないこと、好きなことが出来ないこと、役に立たないこと、自由を奪われることで人は生きる価値を見失う。生きがいというのは自由あってのものだと幡野さんは語ります。

 

家族は1分1秒でも長く、患者に生きていて欲しいと考える。だから

 

以下、延命治療と難病患者さんの状態の一例です。

体が生命活動を終えようとすると、食べることをしなくなる。食事は生きるために必要なことだから、死ぬ人には必要ではない。悲しみを先延ばししたい家族は、点滴や胃ろうで栄養を強制的に摂取させる。患者が点滴の針を勝手に抜いてしまうこともあるので、手を拘束される。体が水分を処理できずにタンが発生する、タンが原因で呼吸困難や肺炎の原因になるので、吸引器を喉に突っ込んでタンを吸引する。

 

患者の意思を尊重する医療現場になって欲しいと幡野さんは語ってました。

 

4.僕のおばぁは嫌だったのか

少し前に祖母が亡くなりました。

老衰で亡くなったんですが、最後に見たおばぁの姿は、ベッドの上でガリガリになり点滴で栄養補給をしている姿でした。

 

ご飯を食べる力がないので点滴で生きている。今回の幡野さん風にいうと生かされている状態だったと思います。

 

目は見えなくなり、話すこともできない(声は出るけど言葉にならない)、耳も遠くなって、体を起こす事も出来ない。

 

 

だけど、手を握るって声をかけると握り返してくれた。

おばぁは僕が誰なのかもわかってなかったと思います。

 

 

旅の途中、タケノリが「五感の中で1つだけ残すなら何にする?」って質問を投げかけてきた事があります。

 

タケノリは「触覚」を残すと言っていて、理由は「自分の子供や大切な人を抱きしめた時の感覚を味わいたい」って言ってたと思います。

 

おばぁから手を握り返された時に、「あぁ、タケノリが言ってた事ってこういう事なのかもな。触覚があって良かった」って本当に思いました。

 

 

その時は僕から一方的に話しかけるしかなかったけど、旅の事や宮古島でゲストハウスをする事を聞いてもらいました。

 

僕はおばぁ孝行な孫じゃないと思います。

小言が多かったおばぁの事を少し鬱陶しく思ってた時期もあります。

 

 

でも、最後におばぁに話を出来た事と触れた事は少しだけ僕の心を楽にしてくれました。

そのおかげで胸を張って、おばぁを見送る事も出来ました。

 

 

自由に動く事のできなかった(生かされてる)おばぁは、苦しくて辛かったのかな。

最後に孫と触れる事が出来たから良かったってのは家族のエゴになるのかな。

 

僕は延命治療とか延命措置にもそれなりに意味があると思います。(本当に苦しんでる人がいるのも理解できるし、先を生きている感じもするけど)

おばぁが延命治療をしてくれてたおかげで(苦しい思いをしてたのかもだけど)、僕はおばぁと触れる事が出来て、心が本当に楽になった。

 

おばぁ、あの時頑張って生きててくれて本当にありがとう。

家族のエゴだとしても、生かされてたとしても、それにはきっと意味があったんだと僕は思います。

 

 

 

ちょっと死をテーマに思った事を長々と書きました。

 

新潟で出会ったピザ職人のユースケさん(元・白血病患者)も触れる事の重要さを話してたな。

凄い力になったらしいです。

 

皆さんも身近な人ほど、たくさん触れて、たくさん話して、たくさん聞いた方がいいです。

 

ではでは。